本文
鹿児島藩では一向宗(浄土真宗)の信仰を禁止しましたが、門徒たちは取り締まりを逃れ「かくれ念仏」として信仰を続けました。その際、各地に講と呼ばれる組織がつくられましたが、その最大のものが「仏飯講」です。明和3年(1766)頃より勝岡郷蓼池の藤左衛門が布教をはじめ、天明年間(1781~1788)には各地に広がり、「薩州内場仏飯講」の名となりました。
この記念碑は昭和14年(1939)に建てられたもので、講の代表満田長八、園田亀太郎、福留次右エ門、園田宗一、本講功労者福満柳右エ門ほか42人、懇志者192人の名が刻まれています。