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高崎町縄瀬上轟、高城町有水八久保間の大淀川の急流を観音瀬(かんのんぜ)と呼びます。
江戸時代、観音瀬は一帯に広がる岩盤とその先端にある滝により、船の行き来ができない状態となっていました。
そのため、寛政3~5年(1791~1793)にかけて、船を通すために、長さ約90メートルの水路を掘る工事が行われました。これが現在も残る高崎側の水路です。また。明治22~23年(1889~1890)には高城側に県営事業としてもう一本の水路(写真・下段)が掘られました。
観音瀬水路までの行き方 [PDFファイル/1008KB]を参照ください。